「寂しい時だけでいいから」が終わって一週間くらい。
毎回、終わった直後に思うのは「これで良かったんだろうか…」という漠然とした思い。
程度の差こそあれ、毎回あった。
けど、今回は違った。
「僕らはこれをやろうと思っていた」という確かな感覚が手に残った。
そこが、今までと全然違った。
まずそれがあって、作品の様々な側面を見つめ直した。
反省はノートに書き出し、次への糧にする。
公演が終わった今、僕は浅草という街が好きでたまらなくなってしまった。
あの活気は麻薬のようで、歩いているだけで脳みそが勘違いしてしまう。
帰り道は帰り道で、浅草寺のひっそりとした雰囲気に酔いしれた。
浅草には「ハレとケ」があったのだ。
フルタ丸がやりたいハレ(非日常)とケ(日常)を街がすでに体現していた。
だからだな。
今回、色んな方から言われた。
作品が劇場に街に合っていたと。
分かりやすい浅草要素などない作品だったにも関わらず、街とのリンクを指摘された。
それは、きっとそういうことだったのだ。
そんな場所で作品を上演できた嬉しさがゆっくりと込み上げて来る。
チャンスをくださった浅草九劇さま、本当にありがとうございました。
そして、ご来場下さった皆様、ありがとうございます。
次を目指し、また一つ一つ時間を過ごし、一つ一つ形のないものに形を、色のないものに色を付けて行く一年が始まります。
やはり一年掛かります。それ以上、急げない。
毎年、フルタ丸を観れてよかったと言って頂けるものを創ることが、フルタ丸の夢の一つであります。
来年の本公演は、下北沢に戻って来ます。
夏の暑い日かもしれません。
また劇場で会いましょう。
フルタジュン
「僕らはこれをやろうと思っていた」そう思えたことに敬意!!
観せて(魅せて)いただいた方としては、満足に満足の行く作品であり、観に行かれた自分の日常にも感謝の気持ちが溢れました。
フルタ丸の作品は、観れば観るほど、これからも観ていきたいと連鎖の気持ちが沸き上がっていきます。感動と感謝と歓びに包まれます。
千穐楽から一週間。。。まだ、一週間とも思うけど、ずいぶんたったような気もします。
それにしても、あの警備員室で、トキオと岩切の関係も孤独を埋めるものに変化していったと思うし、お互いの存在がこれからはもっと深まり、ぬくもりにかわっていくのでは?と思うと嬉しくなります。
岩切も太も、魅力的なキャラで好きでした。
公演が終わって、家族って、当たり前すぎて、無頓着になっていたなぁと改めて思った。
家族という言葉が持つ絶対的なイメージがあるけど、実際には偽物にも本物にもなるんだな。。。
もっと感謝しよう。
そして、私自身もぬくもりを作るひとつのピースになろう。
そんなことも再認識した「
寂しい時だけでいいから」でした。
また会える日を楽しみに、これからの毎日を頑張ります。
フルタさん、ありがとうございました!!
そうそう!これがフルタ丸だ!と思える作品に出会えた気がします。
心を癒す温かさと、終わっていく喪失感と、それでもなお前を向く力をくれる作品。
たくさん泣いて、たくさん笑わせていただきました。
太おじさんの、「臭いね〜」という人をからかうようなドヤ顔と、お弁当のシーンで号泣した直後の雰囲気をぶち壊す登場が大好きです。
ストーリーの中で、岩切さんの存在が大きかったように思います。
同じ空気を感じ、孤独を紛らわせる仲間のトキオを失う怖さと、かつての自分を知る同級生稲本との再会からくる焦りと。
それを乗り越えて、自身の孤独と稲本を受け入れ、トキオの背中を押す姿がとても逞しく印象的でした。
「最後にスカしたくらいで勝った気になるな」「人生いかに負けるかだ」「何笑ってんだよ」「戻るぞ」、優しさと強さを思わせる言葉は、岩切さんのモノが多かったように感じます。
なんか、かっこいいとこ持ってったなぁ…と笑
とにかく、たくさん楽しませていただきました。
ありがとうございました!