「寂しい時だけでいいから」が終わって一週間くらい。
毎回、終わった直後に思うのは「これで良かったんだろうか…」という漠然とした思い。
程度の差こそあれ、毎回あった。
けど、今回は違った。
「僕らはこれをやろうと思っていた」という確かな感覚が手に残った。
そこが、今までと全然違った。

まずそれがあって、作品の様々な側面を見つめ直した。
反省はノートに書き出し、次への糧にする。

公演が終わった今、僕は浅草という街が好きでたまらなくなってしまった。
あの活気は麻薬のようで、歩いているだけで脳みそが勘違いしてしまう。
帰り道は帰り道で、浅草寺のひっそりとした雰囲気に酔いしれた。
浅草には「ハレとケ」があったのだ。
フルタ丸がやりたいハレ(非日常)とケ(日常)を街がすでに体現していた。
だからだな。
今回、色んな方から言われた。
作品が劇場に街に合っていたと。
分かりやすい浅草要素などない作品だったにも関わらず、街とのリンクを指摘された。
それは、きっとそういうことだったのだ。

そんな場所で作品を上演できた嬉しさがゆっくりと込み上げて来る。
チャンスをくださった浅草九劇さま、本当にありがとうございました。
そして、ご来場下さった皆様、ありがとうございます。

次を目指し、また一つ一つ時間を過ごし、一つ一つ形のないものに形を、色のないものに色を付けて行く一年が始まります。
やはり一年掛かります。それ以上、急げない。
毎年、フルタ丸を観れてよかったと言って頂けるものを創ることが、フルタ丸の夢の一つであります。

来年の本公演は、下北沢に戻って来ます。
夏の暑い日かもしれません。
また劇場で会いましょう。

フルタジュン

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