どうも、フルタです。
リレーブログでお送りしてきた「朝のドラマ」もこれにて本当におしまいです。

昨晩、後輩の和田とジンギスカンを食い、その後、事務所に移動して飲みながら話していたことは、ずっとフルタ丸のことでした。

劇団にはカラーがあり、もっと言えば、作・演出の僕にもカラーがある。
得意なジャンルや型があり、苦手なジャンルや型がある。

僕が一番得意な形で勝負をしたのが、この「朝のドラマ」でした。
ここからは個人的な葛藤になります。

作家は自分が書くモノの可能性をどこか無限だと思っていたい。
僕もまたそうでした。あらゆるものを書ける作家でありたいとどこかで思っていた。
これまでのフルタ丸を振り返っても、色んなジャンルに挑んで来た。
上手くいったのもあれば、そうでなかったのもあった。

2年くらい前に劇団の理念をメンバー達と話し合った。
フルタ丸とは何なのか?
それをもう一度、整理してみた。

そこに固執しようと。「これだ」というものを一刺しに行く。
それでいいのだと、僕は決めた。

しかし、本を書いていると、それでも自分の作るものに無限の可能性を与えたくなってくる。
自分でもほんとうに面倒だなと思いますが、そうなるんです。
こんなもんじゃない!こんなもんじゃない!
寝ても覚めても、ずっと呪詛のような言葉が飛び交う。

「朝のドラマ」の稽古が始まる直前、僕はニューヨークにいました。
ニューヨークのホテルでこの作品の第一稿を完成させた。
「よし、できた。これは今までにないものだ!」
そんな感じで鼻息荒く、タイムズスクエアの前を闊歩した。

いざ稽古が始まった。

これが上手く行かなかった。
このまま稽古を重ねても、これは間違いなく失敗する。
稽古が始まり3日目で全面的に書き直すことにした。

もう一度、理念に立ち戻る所から始めた。
自分を何度もビンタした。何をやっているんだと。
フルタ丸が闘うべきものは何なのかということです。
それをどういう形でお客さんに届けるべきなのかということです。
考えていく内に、自分の力を一番発揮できる得意な形で勝負することにした。よりソリッドに。
結果、登場人物は4人くらい変わった。

これは敗北でありながらも、同時に、自分はこれでやっていくと腹が決まった瞬間でもあった。
フルタ丸の座付き作家という自分だけでなく、フルタジュンという作家としてどうしていくべきか。

長々とつまらぬ葛藤を書いてきました。

こんなことは普段、誰にも話さないことです。
僕の中で延々と考えていればいいことであって口に出すことじゃない。
それでも、それをここに書こうと思えたのもまた「朝のドラマ」という作品の成果。

僕もまた、この作品から大きなモノを受け取った一人でした。
「朝のドラマ」ありがとうございました。

またどこかで。

(Photo by タカハシアキラ)